OFFICIAL INTERVIEW

──表現にとってもっとも大切なものは形式とニュアンスだ。と言ったのは、スーザン・ソンタグだったか。
本来、人は「何が表現されているのか?」よりも先に、「どんな風に表現されているのか?」――つまり、形式とニュアンスに心と身体を揺さぶられるもの。「何が表現されているか?」は大した問題ではない。それは個々の受け手が勝手に決めればいいだけのこと。おそらくサンフジンズの3人(カイ・ギョーイ<=奥田民生>・ジューイ・ラモーン<=岸田繁>・ケン・シューイ<=伊藤大地>)はそう感じている。
彼らの1stアルバム『スリーシンフサンズ』を聴けば、誰もがそれに気がつくはず。

カイ まあ、個人的には、このバンドではとにかくグルーヴというか、自分が知ってるグルーヴというのを一通りやっておきたいですよね。ロックンロールにはまだ全然やってないものがいっぱいあるしね。って言いながら、それって、終わりはないんですけど。

──表現にとってもっとも大切なものは形式とニュアンス――その言葉はすべてのポップ音楽にそっくりそのまま当てはまる。
では、ロックンロールにとって、形式とは何か? この島国では、どこか精神論として定着した感のあるロックという言葉も元を正せば、ある形式を指す。まずはブルーズに端を発する12小節の形式。あるいは、2拍と4拍のスネアが強調されたバックビート。そして、そこから発展した8ビート特有のグルーヴだ。

少しばかり堅苦しい言い方をするなら、サンフジンズというバンドは、ロックンロール特有の8ビートのグルーヴを今一度再定義しようとしている。だからこそ、この生き馬の目を抜くJ-POPシーンにおいて、サンフジンズは熱狂的に受け入れられるだろう。なんてことはおそらく起こらない。ほぼ間違いないなく。
特にここ数年の、すっかり8ビートが軽んじられてるシーンにおいては。

カイ 日本人は8ビートじゃないかもしれないですね、もともと身体が。所謂ロックンロールみたいなことをやってても、16っぽい人のが多い気がするんですよ。僕はわりと8ビートが好きで。で、それこそ、スティーヴ・ジョーダンたちに会って、『はは~ぁ、深いな』と。そういう経験もして。確かにこういうグルーヴこそが8ビートの喜びのひとつであって、しかも、日本ではほとんどやってる人がいなくて。うん、だから、いっぱいやっちゃお、みたいな(笑)。

──カイ・ギョーイ(奥田民生)、ジューイ・ラモーン(岸田繁)が曲を共作し、ケン・シューイ(伊藤大地)をドラマーに加えてバンドを組んだと聞けば、果たしてどんな名曲を量産するグループになるのだろう?と期待した者もいるかもしれない。勿論、アルバム冒頭を飾る“スリーシンフサンズ”のような、二人のソングライターのいくつかのビートルズ解釈がひとつになったような名曲中の名曲もある。だが、このバンドの軸はソングライティングではなかった。

カイ 僕はどっちかっていうとソロでも、ユニコーンに曲を持っていく時でも、人よりもすごい曲を書こうっていう気持ちはもうあんまりなくて。人よりもすごい演奏をしたいというかね。で、今回のコレはトリオだから、よりそれが顕著というか。つまり、3コードを3人でやって格好悪かったら、それはもう人格というか、人間が否定されているのと一緒なので。それは頑張りどころだし、一番楽しいところでもあるし、大事なところなんだから――というバンドにしたい。

──そうしたバンドの方向性をもっとも象徴するトラックが、“サーフジーンズ”。ほぼインストゥルメンタル。
ディック・デイルやリンク・レイを思わせるビザールな音色のリフから始まる、3コードを基調にした所謂サーフ・ロックだ。しかも、bpm210越えの高速のビートにウォーキング・ベースを合わせたところが妙。60年代のどこかにあったようでないオリジナルな仕上がりになっている。ほぼ3コードながら、トニックからルートが半音上がる展開では、和声の妙もピリリと効かせてある。

カイ コレを推すっていうのはアリなのかな、というのはありました。プロモーション用にこの曲を選ぶと、歌が入ってないから演奏聴くしかないんで、最初はいいかなと思って。プロモビデオ、これしか作ってない(笑)。

──まずはそんな風に、頭と耳をリセットした上で、この『スリーシンフサンズ』――13曲48分に耳を傾けて欲しい。出来ることなら、軽く腰を揺らしつつ。きっといろんな視界が開けてくるはず。そうすれば、きっと歴史の隙間から眠っていた記憶が目を覚まし、8ビートの多彩さについて思い出すこともあるかもしれない。あるいは、ロックンロールが多種多様なリズムの音楽だったことを。

だが、こうした「8ビート特有のグルーヴの追求」という方向性は、当初は明確ではなかった。
そもそもこのバンドのメンバーのひとりは、周到な計画や大層な目的といった余計なお題目に振りまわされることを誰よりも嫌うタイプ。だからこそ、このバンドの始まりもまたテキトー、かつ、無計画。
当初は、岸田繁からの曲の共作という部分でのラヴ・コールから始まった。はず。多分。
とテキトーですいません。

カイ まあ、そんなこんなあって、『じゃあ、曲でも作ってみっか』って話になったんですよ。

ジューイ 最初はそういう家デモのやりとりというか。で、多分、お互いのパブリックイメージを試すような作業やったんかな? だから、最初は、俺のイメージの中の奥田民生さんっていうシンガーソングライターの“いい曲”の部分に標準を合わせようと思って、わりといい曲を作ろうと思ったんですけど。“右から左”とか“じょじょ”とか、“パン屋さん”とか。でも、やり出していくうちに、“さっさっサンフジンズ”みたいなシンプルな曲をノリで何となくやりたいんかな、という感じがしてきて。でも、普段、自分のそういう所にはそんなに期待してなかったんですよ。でも、なんか新鮮だったというか。だから、今は、まだその可能性があるなって気付いてる最中、というか。

──かくして二人の曲作りプロジェクトは、伊藤大地を誘って、出演を果たした企画イベントのライヴを経て、彼をパーマネントなメンバーとして加えた「バンド」というアイデアに発展していく。

カイ やっぱりバンドでやった方がずっと楽しいだろうな、とは思ったんで。やっぱりバンドってなると、責任感が三等分になりますから(笑)。

ジューイ 俺は二人で曲を作って、それで満足してたところがあったんで。しかも、民生さんはすっごい先輩やし、まさか、そんな、一緒にバンドとかって。ねえ?って最初は思ったんやけど。

ケン 最初、声をかけてもらった時は、サンフジンズという名目もないし、コンセプトもない中で、二人から『ライブやるから叩いてよ』っていう感じで。で、その瞬間には“サポート”っていう意識が働くじゃないですか。

──だが、彼らが目指した場所は「バンド」だった。しかし、それを告げられた時の伊藤大地の心境たるや、実際のところ、いかなるものだったのか。くるり、地球三兄弟と、それぞれとの共演はあったとは言えど、どちらも世界中の名うてのドラマーたちとの共演を重ねてきた猛者。太鼓に関しては、一言も二言もあることで知られている。しかも、彼自身、自身がメンバーとしてもっとも蜜月を過ごしたバンドSAKEROCKが奇しくも解散へ向かおうとしている時期でもあった。

ケン 何本かライブをやって、レコーディングをしてく途中から――まあ、二人はすごい経験者ですから――どういうことをドラムに求めるんだろう、とか、そういうことが叩く上での感覚の多くを占めるんですけど。で、一緒に過ごしていくうちに、バンド名にも慣れて(笑)、コンセプトも三人で探していく時間が増えていくにつれて、『二人のやりたいことにどう応えていくか?』というのとは少し別のベクトルに向かっていくんですよね。そうなった時に、プレッシャーというものもなくなるというか。まあ、それがバンド感に繋がると思うんですけど。

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