OFFICIAL INTERVIEW

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──バンドというのは特別なもの。乱暴に言えば、生き物。
ソロ・アーティストの作品や誰かひとりのリーダー・バンドにはある程度、何かしらの到達点が存在する。だが、バンドはそうはいかない。誰かがイニシアチブを取ったとしても、思い通りにはならない。メンバーそれぞれの個性という限定と縛りがあるから。だからこそ、面白い。何よりもバンドには、その何人かのメンバーでしか出せない音、出せないアンサンブル、グルーヴというものがある。だからこそ、かけがえのない魅力がある。しかも、それがトリオであれば、なおさらだ。

カイ やっぱ3ピースのバンドっていうのは、なかなかにかっちょいいじゃないですか。かっちょいいんですよ。4人よりも3人の方がむしろ自由度が高かったりね。3ピースだからボーカルが変わったりするバンドが多かったり。何かとトリオっていうのは、昔からやってみたかったんですよ。(伊藤大地を誘ったのは)ちょうどそこそこ一緒に仕事しだしてたんだけど、もうちょっとやってみないとな、っていうタイミングだったんですよね。で、岸田ともやってるっていうから。地球三兄弟をやってた時に、ドラムで来てくれてて。その時、僕、割とベース弾いてたんですよ。なので、もうちょっとベース上手になったとこ見せたいな、とか(笑)。

──かくしてザ・バンド・ワズ・ボーンというわけ。
それにしても、このサンフジンズ、全員が歌う、曲によってはベースとギターを取り換える、ソングライターは二人、主に共作という、トリオ編成ならどうしてもやってみたくなるすべてを満喫するという、3ピースバンドの鏡のような存在。しかも、片方のギタリストは主に鋭利なサウンドのシングルコイルのギターを使い、何よりも開放弦の響きによって最高の倍音を鳴らすのが得意、もう片方のギタリストはハムバッカーのギター中心で、ふくよかな音色かつ絶妙なカッティングでグルーヴをドライヴさせるのが得意、と揃うべきものがしっかりと揃っているという絶妙さ。

ジューイ 開放好きですね。ギョーイさんが弾く所謂ロックンロールぽいギターっていうのは、僕らもやらんことはないんですけど、俺がやるとビートルズとかにはならないんですよ。それ以前のもっといなたいやつになってしまうんで。それをガンっとバンドでやるとすると、もうジャンルも変わってしまうんですね。自分が普通に弾く時は、ギターなんだけどギターぽくないというか。響きもそうやし、ロー・コード多いし。リチャード・トンプソンとか、ピート・タウンゼントみたいな。で、コードにテンション入ってるの好きやから。“ふりまいて”とかも、最初のAメロとかBメロはギョーイさん作ってきたやつやから、自分が弾くと形は変えてしまってるんですよ。

──と同時に、このサンフジンズにおいては、ミディアム/ショート・スケールのベースをピックで弾くという、ロックンロール・ベースのひとつの王道を追求したスタイル/形式がそのサウンドの軸になっている。

ジューイ ギョーイさんのスタジオに行くと、ビザール・ベースばっかり置いてあるんですよ。ミディアムとかショート・スケールの、昔ポール・マッカートニーが弾いたヘフナーっぽいやつとか、リッケンぽいやつとか、SGのベースとか。弦もラウンドやなくて、フラット弦の。このバンドが始まった時も、『ベースが、ベースが』ってすごい言わはるから、結構、それから考えて。『あ、ベースってこういうもんちゃうかな』って思い始めた瞬間にレコーディングが終わりました(笑)。

カイ 僕はわりとありますね、ここでは。うん、はい、ベース楽しいです(笑)。グルーヴ自体は、当然、楽器数が少ないから分かるわけで、いいか悪いかが。極端な話、他のことはどうでもいいっちゅうか。グルーヴが良きゃいいや、っていう。で、この衣装――白衣が着たいから、そんな名前にしたんです。まず衣装から。てことは医者って設定なんじゃないか、と。でまあ、何となく言葉の響きでサンフジンズっていうのが出てきて。

──小気味よくライムを踏むように、すべてはダジャレと連想とノリによって組み立てられていったと言っていいだろう。このサンフジンズというバンドのやることなすことすべてはイージー・ゴーイング。70年代風に言えば、グルーヴィ。日本語に訳せば、どこまでもノリ重視。少しばかり気取った言い方にすれば、粋。勿論、これはどれもロックンロールというアートフォーム特有の特徴でもある。

ジューイ 曲作りとかも時間かけないんですよね。だいたいギョーイさんから歌詞がポッと送られてきて。で、とにかくシンプルなんですよ。だいたいダジャレだけど(笑)。多分、俺一人やったら、4、5日は悩むようなところが、送られてきた歌詞の時点でアイディアがすでに見えているから。『じゃあ、こっちもそんな感じで』って返すと、わりと具体的な感じになるんですよ。俺、そういう作り方はしたことなかったから。

──名は体を表すとは、けだし名言。サン・フジン・ズという言葉が持つ、少しばかりうねりながら、きちんと跳ねる三音節の響きは、奇しくも彼らのサウンドにそっくりだ(このバンド名を三音節と取るか、二音節と取るかは、少しばかり微妙だが、ここは三音節だということにしておこう)。3ピースのトリオというシンプルなアイデアから出発したバンドは、気がつけば、3という数字をひとつのコンセプトに、あっという間にロールし出していく。ヴァースを3回繰り返す、リリックの中で同じ単語を3回繰り返す、やがて3コード基調のソングライティングといった具合に、その名が体を成していく。

それにしても、このバンド名、サンが太陽、フジが富士山だとすれば、「サンフジンズ=日本におけるロックンロール・グルーヴ」と少しばかり飛躍した翻訳さえしたくなってくる。そうか、なるほど、つまりはこういうことか。時に過剰にシリアス、時に過剰にエモーショナル、時に過剰に狂騒的なビートが氾濫する、この島国のポップ・シーンにおいて、サンフジンズが目指しているのは、8ビートのグルーヴによる世直しに違いない。なんて無粋かつ退屈なことを言うことだけやめておこう。

だが、このトリオは、アルバムのエンディングを飾る“サンフジンズのテーマのリリックにおいて、ちらりと本音“らしきもの”を覗かしてもみせる。「サンフジンズはね/医者じゃないんだ/ほんとはね/だけど/きみの病気を治せるんだよ」。「サンフジンズはね/医者じゃないんだ/ほんとはね/だけど/未来のきみを元気にするんだ」。

カイ まあ、治すっていうのも言ってるだけだろ(笑)、っていうニュアンスですよね。本当に治す気はないんじゃないか?っていう(笑)。かっこいいねサンフジンズ、言っとくけど医者じゃないからね?っていう。その身も蓋もないのがテーマというか、全体の空気を支配してるテキトーさ。で、治せるって言ったおかげで、むしろ余計に無責任な作品になってしまったっていう(笑)。かっこいいねサンフジンズ、でも、何が言いたいんだ?っていう(笑)。

──勿論、こうしたどこか無責任で、飄々としたムードというのは、奥田民生という作家がこれまでずっと持ち続けてきたニュアンスでもある。勿論、忌野清志郎のようにロックンロールから不謹慎さや偽悪性といったニュアンスを受け継いだ作家もいる。だが、このどこか無責任で、飄々としたムード、それは、おそらくロックンロールというアートフォームから彼自身が受け取ってきた、何よりも譲れないニュアンスなのだ。と眉に皺を寄せたようなニュアンスで語ってしまうとすべては台なし。この最高のグルーヴは、流砂のように指の隙間から擦り落ちて、どこかに行ってしまう。

カイ そういうところを無責任でいないと――責任を負ってる暇はない、ということですかね。そういうところで責任をとるのはもっと別の人達だ、と。僕たちはそうじゃないです、と。そういうのってソロでも雰囲気はあるとは言え、やっぱりそこはバンドというか、何かツッコまれても、まあ、ジューイもケンも一緒に怒られるんだからいいや、みたいな(笑)――そういうところがバンドなわけで。まあ、ユニコーンもそうだけどね。そういう無責任さっていうのはバンドらしさだとも思うんですよ、うん。

──つまり、さらなる無責任さを貫くために3人はサンフジンズを必要とした。とテキトーなことを無責任に言っておきましょう。ただ、だからと言って、サンフジンズを「大人の遊び」といった類いの言葉に翻訳するのも間違い。このバンドはあくまで本気。ただシリアスではないだけ。過剰にエモーショナルではないだけ。もっとも大切なのは、バンド名を筆頭にすべてに貫かれた、シャレなのか、お遊びなのか、悪ふざけなのか、本気なのか、どうにも判別がつかない、この絶妙なニュアンスにこそある。

だって、「彼らサンフジンズが何を表現しようとしたか?」とか、正直、どうでもいいじゃないですか。
それよりも、むしろ彼らが生み出した作品における形式に耳をそばだて、身体を揺らすこと。そして、この絶妙なニュアンスを感じること。それこそが何よりも代えがたい極上の喜びであるのは言うまでもない。と、また拳に力が入ってしまいました。
だからこそ、本当に言いたいことを最後に一言だけ書いておきましょう。
いやー、超かっちょいいね、サンフジンズ。

2015年7月 田中宗一郎(ザ・サイン・マガジン・ドットコム/SNOOZER)

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